川崎市民ミュージアム 「幕末・明治期の川崎とニッポン」

Kawasaki02 ■企画展  幕末・明治期の川崎とニッポン

 最後まで見終わって、テーマが「幕末・明治期のニッポン」であることは確かではあっても「川崎」と直接関係する資料は一部にとどまるのではないかという疑念がわきました。何かないかと探して、入るときには気がつかななかった入り口脇の展示資料一覧の紙で全資料の出所を確認したところ疑念は氷解しました。この博物館の所蔵品以外の資料もほとんどは市内各区の家のものでした。区の名前をひろってみると、川崎区、麻生区、中原区、高津区、多摩区、幸区とあります。まさに市内全域から集めてきたものなのですね。タイトルに川崎と入っている意味がよくわかりました。

 横浜開港から始まった急速な変化には、今の言葉でいう「ネットワーク」と「メディア」のの変化という2つの軸があるのではないかと感じました。為替(外国との通貨取引)、艦船、鉄道、水道の展示では「ネットワーク」の拡大であり、定期刊行新聞の創刊、錦絵新聞と風刺漫画の登場、写真技術の導入、アルバムの商品化等は「メディア」の変革でしょう。
 西洋の新技術による大きなうねりを感じると同時に、すでに日本にあった印刷技術、錦絵文化の土台であったことにも気がつきます。商品化された日本の風景や芸者の写真集の表紙が見事な漆蒔絵でつくられているのを見て、テレビゲームのカセットの入れ替えのように文化が不連続に変わったわけではないことも理解できました。日本人が西洋文化に対して抱いた恐れと期待と同様に、日本に来た西洋人たちも対応する感覚をもったのかもしれません。黒船から無断で抜け出して横浜、川崎あたりを徘徊した身長180cmの亜墨利加人を見た日本人の驚きを伝える複数の文書を眺めながら、危険をおかしてまで陸に上がって日本を見てみたかった大男の気持ちも想像してみました。

 水道網を実現するための水道管は木樋(四角い木に四角い穴)で、耐久性がなくてたびたび壊れたそうです。コンセプトや設計は持ってこれたとしても現実の実装ではその段階ならではの課題があるのは今も昔も同じようです。

 

Kawasaki03 出口に掲示されてたポスターで、今年は、横浜開港150年を記念して、神奈川県のさまざまな博物館で幕末・明治を対象にした展覧会がおこなわれることを知りました。他にも足を運んでみます。

■博物館

 「武蔵小杉駅からバスで10分というのはおおきな障害だ」というコメントを事前に何度か見聞きしていたのである意味覚悟はしていましたが、実際に乗ったバスが住宅地の狭い道を通っていくのを体験するとアクセスする人にとって確かに大きな負担になるように思いました。今日は普通の平日なので道も空いておりバスもがらがらなので問題はありませんでしたが、休日に隣接する施設に来る人の車による渋滞やバスの混雑など想像してしまいました。

■常設展

 1階に常設されている古代から近代にかけての歴史展示は、いわゆる「**県(市)立歴史博物館」でよく見るタイプのものです。土器があり、民俗資料があり、ジオラマがあり、と表現方法は多彩です。ここも実資料は市内から集めてきていますから意欲も十分に感じられ、展示にもかなりお金をかけていると見て取れますから、資源という点では条件は悪くないと思います。広い展示室に観客は私1人でしたが、いわゆる「**県(市)立歴史博物館」では珍しくないのでそれもよしとしましょう。

 ただ、何かがちくはぐで、歴史の流れにも乗れず、特定の展示に強く惹かれることもありませんでした。時代ごとのコーナーの壁に高々と掲げられた大きな年表は、観客が歴史の流れを確認できるようにと思ってのものだと頭では理解できるのですが、展示物とのつながりを消化できませんでした。一部の展示はビデオ映像付ですが最初のディスプレイ横の4分以上あるという表示を見ただけで鑑賞の食欲が失せてしまいました。

 一皿一皿工夫はされているのだと思いますが、食卓になっていないのでしょうか。また、地元の人はいつ来ても展示が同じだとするとますます知の食欲を満たす場としては敬遠されてしまいそうです。

 じっくりとりくまないとわからない価値というものがあるのは納得しますが、最初の意欲は肝心です。勉強と同じですね。