小学生低学年の手書きの作品を見ると、歳のわりには上手な絵ではありますが、まだギクシャクしており自然な線になっていません。
しかし、そのあとの膨大な作品を年を追ってみていくと、ある時点では天才としか思えないような滑らかで自然な線となり、拡大して初めてわかる微妙な筆づかいへと転化していくのです。
鉄腕アトムをリアルタイムに雑誌で読んでいた世代にとっては、手塚治虫はきわめて特別な存在ですが、その後の世代にとってはどうなのでしょうか。このような記念館でしっかりと資料を残さないと、恐ろしい損失につながりかねません。私が訪れたときには、観客の半数は海外からきているようでした。若い人だけではありません。しかも「ちょっと見」ではなく、かなり時間をかけてしっかりと目に焼き付けているように思えました。
完成度の高い最後の作品だけを見てしまうとそこにいたる膨大な鍛錬の連続に気づきません。しかし、ここの展示は王道はないのだということを教えてくれます。
以前、ニューヨークの美術館である有名な印象派の画家の素描だけを集めた展覧会を見たことがあります。1枚の絵に書き込まれた線の長さを、目で何箇所かサンプリングしながら「1平方cmあたり何cm」と推定し、生涯に書かれた絵の面積の推定値にかけあわせたことがあります。天文学的な長さでした。
「好きさから知らないうちに・・・」と答えられること自体が天才たる所以なのかもしれませんが、だからといって実践なしで結果に到達したわけではないわけです。凡人も、せめて膨大な手間を惜しまずに続けることに飽きないようにしたいものです。