上り坂は体力差を時間差に変換して増幅するアンプ 亀山社中記念館(長崎市)

Kame02  この高低差をものともせずに毎日グラバー邸や出島方面と行き来していたとしたらかなり脚が強くないと無理だな、と思いました。

  

  想像していた亀山社中の立地は、シーボルト記念館のような緩やかな山あいを分け入った場所でしたが、実際に足を運ぶと、なだらかな丘というよりも崖に使い斜面を交互に急な石段と人がようやくすれ違えるほどの細い路地が続く道をよじ登っていった場所でした。ここに、日本初の商社と呼ばれる亀山社中を当時の姿により近い形で整備して公開されています。今は民家に囲まれていますが当時はこの近辺の建物はここしかなかったようです。

 

 

 

Kame01  わざわざここを拠点にした理由の一つは、山城のような自然の防御になることかもしれません。

 

 今は長崎歴史文化博物館が建っている場所にあったという長崎奉行所立山役所とは直線では1kmほどの距離ですが、もし当時も同じ程度の道だとしたら、馬に乗っては登りづらく大勢の役人が押し寄せるには時間もかかったことでしょう。一方、逃げ道は四方に広がっています。ただ、”追手がかかった”といった情報を早く受けなければその時間差も意味がありませんから、何かしら仕掛けがあるのではないかと想像を膨らませます。麓にいる協力者が、鏡で日光をチカチカさせるとか、狼煙を上げるとか。あるいは、けっこう単純に極端に上りに強い健脚の者がいち早く駆け上って急を告げたのかもしれません。その場合、上り坂は体力差を時間差に変換して増幅するアンプですね。

 

Kame03  記念館の窓からは長崎湾が見渡せました。さらに登った山頂の風頭公園には、腕組みをした坂本龍馬の像が長崎湾を眺めています。実際にここまで登って作戦を考えていたかもしれません。
 
(2010/9/6 鑑賞、2011/7/17 執筆)
 
博物館心ミュージアムマインド「亀山社中記念館」へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA