科学者のネットワーク、”塾”のカスケード シーボルト記念館(長崎市)

Seabolt01  伊能忠敬が50を過ぎてから全国を回って測量した自然データの集積である日本地図と、医学・動物学・植物学・民族学を学んでわざわざ極東までやってきたシーボルトがここで出会ってしまったんだなあと思いながら、シーボルト事件の顛末についての展示解説をじっくり読んでいきました。それぞれ生涯をかけて準備と研究をした科学者というノードでした。

 なお、館の概観自体は、オランダ・ライデン市にあるシーボルト旧宅をイメージして作られたものだそうなのでこの地とは直接関係はありません。

  

 

Seabolt02  2枚目の写真は、記念館の手前の更地です。シーボルトの家が実際に立っていた場所です。奥にシーボルトの像が立っていました。シーボルトが長崎で開いた鳴滝塾の地に立って東を向けば、ここが、これまで見学してきた緒方洪庵の大阪・適塾や福澤諭吉の東京・慶應義塾等の幕末の”塾”へのつながりの起点の一つであることが感じられました。少人数の有志が形成する”塾”というノードにはネットワークを形作らずにはいられない威力があったのでしょう。

 今回はシーボルト”が冠された県立長崎大学シーボルト校で開催された学会参加のついででした。現代の大学は、ノードとしてどのくらいパワーを発揮しているでしょう。

(2010/9/6 鑑賞、2011/7/17 執筆)
 
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