境界はここでも敏感でした 飛鳥山博物館(東京・北区)

Asuka01  日本列島も太ったり痩せたりを繰り返しています。

  数千年前には、間氷期開始にともなう海面上昇で関東平野の奥深くまで海が入り込んでいました。武蔵野台地を西から東に流れる石神井川が、ここ飛鳥山の麓で海に注ぎ込んでいた時代もあったようです。この小高い丘は、陸(台地)と海(低地)の境目にあり、その地層に残された遺物が、気候の変化を敏感に反映しています。その実物展示とパネルによる解説があいまって、そのあたりの話がたいへんよく理解できました。境界には情報が凝縮するのでしょうか。複雑系の理論を思い浮かべました。

  なお、氷河期は数千万年単位のものでその中の数万年単位の周期は氷期・間氷期と呼ぶのだそうです。

 

 
 
Asuka02  博物館にはいると目の前に律令時代(飛鳥時代から奈良時代のあたりを指すのでしょうか)のころの米蔵が復元されています。教科書で習った飛鳥時代は奈良のことが中心で、当時の田舎であろうこのあたりがどういう発展段階にあったのか想像していませんでしたが、展示を見る限りではかなり文化的な段階にはいっているような印象です。現代の別荘地のコテッジ風にも見える米蔵は何か新しすぎる気もしますが、史料に基づく復元なのでこれが事実だと考えるところから出発しないといけません。学術的な事実の検証の積み重ねは地味ですが、その結果を信頼せずに思い込みで判断してしまうと、案外簡単に知らぬ間に歴史が書き換わってしまうものです。事実を創造してはいけません。明治以降の近代でさえ何が真実か正確にはわからないこともありますから。

  なぜこの地が「飛鳥山」と呼ばれるようになったのか、簡単に思いつくのは遺跡が飛鳥時代に関係しているのではないか、ということですが、少し調べただけではわかりませんでした。いずれ何かのきっかけで理由はわかるでしょうから、拙速な思い込みで安心するより、謎を抱えたまま博物館めぐりを楽しむ道を選びましょう。
 
(2011/2/24 見学、2011/6/29 執筆)

 

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