弥生時代の名前の元を辿ると旧暦三月のことでした  特別展示「弥生誌 向岡記碑をめぐって」東京大学総合研究博物館(東京・文京区)

DSC07761a  東大の赤門を入って右手に進むと博物館がありますが、ちょっと寄り道をして左手のコミュニケーションセンターへ。博物館の図録などは多彩な大学グッズといっしょにここで売られています。今回は、東京大学地震研究所のデータを基にして作成された組立式貯金箱「世界の震源分布(2010年版)」(350円)を買ってきました。この赤い点は地下30kmまでの震源のプロットです。何十年もかけて震源を特定し積み重ねられたデータです。空間に時間をマッピングした表現です。2011年版には、またあらたなプロットが加わります。私も時間をかけてこの箱の中にお金を貯めて、何日でいっぱいになるか計測してみますが、満杯になったら、研究のために寄付しましょう。

  
 さて、こういう地道な研究の成果が集められているのが総合研究博物館です。

 現在行われている特別展示は「「弥生誌 向岡記碑をめぐって」です。東大本郷キャンパスの北側は、浅野・弥生地区と呼ばれています。江戸時代は、水戸徳川家九代藩主の徳川斉昭(十五代将軍慶喜のお父さん)の中屋敷がありました。彼が建立した「向岡記碑」に刻まれた「夜余秘(やよい)」の文字が由来となって、この地区の名前が明治5年に本郷区向ヶ丘弥生町となったのだそうです(現:文京区弥生)。
  
 そして、その12年後、明治17年に、この地で研究者によって発見された土器が発見場所の地名をとって「弥生式土器」とよばれるようになったのです。さらにはこの土器が示す時代名にも弥生が使われました。月(時間)の名前が土地(空間)の名前になり、それにちなんで土器(モノ)や時代(時間)の名前に採用されたといういうことです。次元を越えた不思議なつながりです。

 

Ut01a  この一帯は、学生時代に毎日通っていた場所なのに、今回博物館でボランティアの方に教えてもらうまで数十年の間、弥生時代の名の由来の地だとは全く知りませんでした。事物を個々に目に入れるだけでは意味のつながりは見えてこないのですね。やはり勉強しないと何事も楽しめません。

 

 写真は、6月(旧暦では5月の皐月)の花、紫陽花の奥に見える博物館の玄関です。はいったとたんに展示室、という大学博物館ならではの驚きのレイアウトです。その奥に、様々な歴史を解明するための研究の成果が詰まっています。
 
(2011/6/21 見学、2011/6/22 執筆)
 
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東京大学地震研究所のデータをもとに作成された「世界震源地図グッズ」