殿様と史跡の関係、人気のバロメーターはコスチュームキューピー 岡山城と後楽園(岡山市)

Okayama02 天守(閣)が聳え立つ城のフォーマットが明確に意識されて建造されたのは安土城(1579年)から高々数十年のことのようです。岡山城もそのひとつで、秀吉の養子となった宇喜多秀家が1797年に完成させたもの。烏城(うじょう)と呼ばれる黒塗りの外観は鮮やかです。

しかし、彼の治世はわずか10年でした。代表的なお城が西日本に多いのは、戦国大名の割拠の状況が写し取られているということです。

 

  

一方、徳川の世になると城の新築・増築には大きな制限がかかり、かわりということではないでしょうが日本三名園を初めとした池泉回遊式の広大な大名庭園が流行ります。

 

Okayama03 金沢市の兼六園、水戸市の偕楽園と並び称される岡山の後楽園は、岡山城と旭川で隔てられた対岸にあります。関ヶ原の戦いの後、西軍だった宇喜多秀家は八丈島に流され、岡山藩は裏切って東軍についた小早川秀秋のものとなりますが、一代で改易されて池田家が明治維新まで統治しました。岡山藩池田家宗家4代目の池田綱政が造営したのが後楽園です。約250年も池田家の統治は続き、綱政政権も42年にわたっています。明治以降には一般に公開され、おそらく累積で数千万人が訪れたであろう人気のある観光名所になっています。

 

Okayama01 さて、では今の岡山の人にとってもっとも親近感のある殿様はだれでしょうか。判官びいきで宇喜多秀家だろうと容易に想像できはしますが、地元の人に聞こうにも、周囲の見学者が中国・韓国の方ばかりでなかなか確かめられません。しかし、二階のお土産屋さんで答えを見つけました。日本各地で見かける「コスチュームキューピー」の岡山限定版の中の歴史上の人物としてただ一人キューピーのコスチュームになっていました。

 
(2011/8/1 見学、2011/8/2 執筆)
 
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