少女の立場はどうなるのだろう、そもそも青年世代の女性には名前さえついてないではないか、と心配になるようなネーミングにも関わらず、心配には及ばずこの科学館でも少女が体力に任せて揚水発電を行っていた。東京でも大阪でも静岡でも科学館では少年少女が元気にエネルギーを創り出していた。
エネルギーがほとばしる年代である。
質量と重力の理屈も後回しでよいではないか、水星に行って体重計に乗ったら3分の1にダイエットできるのだと目に焼き付けられる。もっともここに関心を持つのは大人のほうかもしれないが。しばらく見ていると、このコーナーでは子供を連れてきた大人にも試す者がでてくる。
内臓パズルで自由自在に”獣身”の構造を再構築する子供には、「全体を部分に分割していくだけの要素還元主義はナントカカントカ」といった大人の観念論は念仏である。
ここは何かしら面白いことだらけなのだと気付いた子は真剣になってタイムテーブルで次の夢を追っていく。こんなチャートの読み方は学校で教わってないだろうが、関心が呼び覚ます集中力があればなんなく理解できるのものなのだ。
高学年にもなれば、お仕着せの双方向展示も卒業して自分で創作・工作も始める子もでてくる。指導?しているのは大学生くらいの若者である。
ここは、プラネタリウムも併設された規模の大きな科学館である。隣にはサンピアザ水族館もあって、どちらも夏休みの家族連れがたくさん訪れていた。水族館では、大人の顔がほころんでいる横で飽きて座り込みそうな子供。科学館では、熱中する子供から解放されてベンチで放心している親。一時に比較をすると違いが分かりやすい。
(2011/8/8 見学、2011/9/5 執筆)