平和モードと戦争モードの境界 象山地下壕 (長野・松代町)

Zozan01 戦後66年、約2/3世紀前の太平洋戦争の跡が升目に刻まれています。

 松代には、太平洋戦争末期、軍部が本土決戦の拠点として大本営・政府を移す計画の元に、強制動員によって掘られた地下壕が残っています。20メートル×50メートルの碁盤の目を基本に総延長約6,000メートル、床面積約23,000平方メートル。現代のオフィスの1人あたりの面積が仮に10平行メートルとすれば、2、300人が立てこもれる規模になります。1日3交代で9ヶ月をかけて全工程の75%程度まで掘り進んだところで終戦をむかえました。

 

 

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見学可能なルートの一番奥で止まって振り返り、しばし立てこもりの生活を想像します。

山の上に爆弾が落ちたらどんな音・振動がするのでしょう。

停電で電燈が消えたら・・・。

水の供給路を絶たれたら・・・。

下水道は・・・。

なかなかリアリティは湧いてきません。学生時代に地下で放射線の測定をしていた頃の記憶になかなか勝てません。当時は、宇宙空間の中で岩石の卵の中に宇宙線から守られている感覚でした。

 

 

この夏訪れた戦争の跡が残る場所では、いずれも住民・朝鮮人の強制的な徴用や学徒動員の話が明記されていました。今見れば、ここに立てこもって本土決戦を行うという話に現実性を感じることはできません。もしかしたら立案した人も半信半疑だったかもしれません。はたして、特定の個人的な”悪人”の命令で全てが動いたのでしょうか。追いつめられた社会がある心理的なモード・相に陥り、それなりの平衡状態になってしまうと、個々の努力では抜け出せなくなってしまうのではないでしょうか。

 

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そういうモードの落とし穴にはまらぬよう、そばに近づくことを避けタブーとしても、その意味に対する社会の記憶は薄れ、再び下り坂を加速してしまうことが繰り返されているのかもしれません。せめて少しだけでも記憶を続けるための思いが、史跡や博物館という形の装置を遺すのでしょう。

同行した知人はフランスのシャンパーニュの旅行から帰ってきたばかりで、ここも湿度・温度の条件がそろうなら同じような用に使えるのではないかと言っていました。平和モードにいるときは、地平線の向こうにあるはずの戦争モードに想像を広げるのは難しいものです。

 

(2011/8/13 見学、2011/8/30 執筆)