物語を読んでいて何度か目にした”薩摩の反射炉”。幕末の趨勢を決め富国強兵政策の礎となっていった技術的だったのか、実物や資料があれば見てみたいと思っていました。
博物館内の模型で構造を確認したあと、隣接する庭園で石組みの土台の上に築かれた炉床部分を見学しました。この上に耐火煉瓦の炉が築かれていたそうです。炉床に敷かれた石の隙間は高温を生み出すべく大量の空気を送りこむためのものでしょう。
試行錯誤で反射炉建造に調整した藩はこの時代たくさんあります。土台になる石組みの技術や、不十分な図面だけを参考に工夫を重ねた技術者の存在といったインフラがなかったら、時代を決した大砲は、作るものではなく買うしかなかった時代です。
二段跳びは難しく、あるビューが完成してはじめてその上のビューをenableするというアーキテクチャーをここでも感じました。
炉跡の前には、反射炉がenebleした”鉄製150ポンド砲” が。
そのあと、何世代、ビューがビューを生み出してきたのでしょうか。