横浜の日本新聞博物館の企画展に間に合いました。2018年9月30日(日)まで。
第一部 明治維新と近代新聞の誕生
維新後の大きな節目、西南戦争前後の明治9年から11年のに起きたこと。今にいる私たちは結果を知っていますが、その時代の当事者には膠着した歯車がどちらに回りだすかわからない中での3年間だったのだなとリアルタイムで進行した新聞が教えてくれます。
- 明治9年 帯刀禁止、熊本神風連の乱、秋月の乱、萩の乱
- 明治10年 西南戦争、木戸孝允死去、西郷隆盛敗死
- 明治11年 大久保利通暗殺
世の中がどう変わるのか、国民の自覚と合わせて芽生えた不安と期待に答えたのが近代新聞だったのかもしれません。節目までに創刊された5紙が紹介されています。
- 明治3年 横浜毎日新聞 創刊号(日本初の日刊紙)
- 明治5年 東京日日新聞 創刊号(毎日新聞の東日本地区の旧題号)
郵便報知新聞 第1号(のちの報知新聞) - 明治7年 読売新聞 創刊号
- 明治8年 仮名読新聞 創刊号
それぞれに自らの使命を信じ、主張を明らかにするための創刊。紙一枚の裏表、という小さなサイズに大きな志を詰め込んだのでしょう。
江戸時代の浮世絵師・歌川国芳の弟子筋の絵師たちも新時代の活躍の場を新聞に求めます。「東京絵入新聞」「絵入自由新聞」といった名前が「絵入り」のインパクトを伝えてくれます。
第二部 自由民権運動の展開
この時代の創刊号。
- 明治12年 朝日新聞 創刊号
- 明治15年 時事新報 創刊号(福澤諭吉創刊。戦時中、東京日日と合同。戦後、産経新聞と合同)
政府も参議・山縣有朋の建議により明治16年に官報の発行を始めます。それまでは『東京日日新聞』の一部の欄でつたえていたということなので、自前のメディアの重要性を政府としても認めたということになるのでしょうか。
(企画展会場内は撮影禁止です。これは常設展示です。)
新聞は量的にも段々と充実していきます。史上最大と説明があった明治40年の「時事新報 創刊25周年記念号」は、224ページ。広告が大半をしめています。独立を守るために広告の掲載を積極的に進めた福澤。ゆかりの人たちの協力の成果でもあるようです。おそらく1kgを超えるこの紙塊はどうやって配られたのかも知りたいところです。
第三部 帝国議会の開設
- 明治22年 日本 創刊号
- 明治23年 国民新聞 創刊号(徳富蘇峰)
横濱貿易新聞 創刊号 - 明治25年 萬朝報 創刊号
- 明治26年 二六新聞 創刊号
主張の内容、関心対象等に合わせてさらにさまざまな新聞が創刊されます。
第四部 社会の変容と大衆化
- 明治36年 平民新聞 創刊号(非戦論、社会主義)
- 大正元年(=明治45年)
布哇報知 創刊号(ハワイ州で唯一の邦字新聞。静岡新聞の系列として現存)
新聞は、それまでの「想定内」を超えたさらなる広がりを見せていきます。
307点の展示リストで確認してもう一周。14の企ての始まりをもう一度目にしてきました。昭和や平成の中の相似形やパターンを見出す材料にできるのかもしれません。