”魔法”の成長と断絶 まほうびん記念館

181210dsc07264_2

魔法瓶を落としたら、がしゃっと音がしました。中を覗き込んでみると、白黒銀の万華鏡になっていました。

子ども時代の思い出です。魔法瓶は”銀色のガラスびん”でした。

「火のないところで手軽に温かいものが飲める、食べられる。」という新ニーズを生み出したのは、真空側にメッキを施した真空瓶による保温という新技術です。熱の伝道、放射、対流をカットするイノベーションでした。

 

日本の魔法瓶の誕生は1912年(明治45)。大正に入ると、大阪にたくさんのメーカーが出現します。象印マホービンは1918年(大正7)創業、

市川銀三郎(兄)・金三郎(弟)が、一家で故郷愛知県での生活を清算し、1918年(大正7年)に大阪で魔法瓶の製造をおこなう「市川兄弟商会」を創業。兄20歳、弟17歳のスタートです。今の象印マホービンです。

タイガー魔法瓶は1923年(大正23)創業。

手作りの製品ですからかなり高額だったとのことです。

 

1963年にコア技術の瓶づくりが機械化されると大衆化し、そのあとは花柄ブーム、台座の回転、傾けずに押せば注げるエアポット、と魔法に人知の改善が加わっていきます。

181210dsc07268

ステンレス製が製造可能になるとガラス瓶は廃れますが卓上から持ち運び可能へと場が広がり、電気ポットができると「保温」はサブの機能に転化していきます。最近の小型ポットは沸き上げ機能しかないものもあります。

181210dsc07269

業界の数字をまとめた全国魔法瓶工業組合のホームページを見ると、「”ステンレス製まほうびん協議会”は平成22年に「全国魔法瓶工業組合」に統合されました。」とありました。ガラスとステンレスでは業界まで違っていたようです。競争からコラボレーションへと転換していく歴史の流れがあるのかもしれません。

この館も「象印という1メーカーの記念館」ではなく、「魔法瓶というイノベーションの時代」を共にした複数のメーカーが協力して展示を構成していました。

181210dsc07272

科学や技術の発展でつぎつぎと謎が解き明かされ新製品が開発される現代。「魔法」と銘打つほどのインパクトがあった時代と対比します。

魔法の時代はまたおとずれるのでしょうか。

まほうびん記念館

大阪市北区天満1丁目20番5号
(象印マホービン株式会社 本社1F)

181210dsc07260

181210dsc07261