皇室と百貨店から、創業者と美術館まで。

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三井銀行を34歳で退職した小林一三は、妻子を抱えて失業の憂き目に。しかし、縁あって「箕面有馬電気軌道」の創業に専務として参画し、不在の社長に代わって実質的な経営者になります。

その小林が残した「逸翁美術館」を十年待って念願の見学。横山大観、下村観山、川合玉堂、東山魁夷・・。展示の出だしの何点かでデジャビュ現象発生。1週間前に訪れた「山種美術館」の展示と作家が重なります。

皇室と百貨店という一見関係のない取り合わせに、明治の美術工芸進行をささえたという共通点を見出します。

2009年の移転前の「逸翁美術館」があった小林一三の旧邸である洋館「雅俗山荘」は、現在は小林一三記念館になっています。ここの茶室や道具の展示では、今度は根津美術館のデジャビュが。

号・逸翁の小林一三と、号・青山の根津嘉一郎。趣味が重なる東西の私鉄の雄の間には、経営者としての個人的なつながりがあったのかもしれないと考えて、美術館隣の池田文庫へ。

用件を伝えると、アーキビストが次々と資料を探し出してくれました。茶道具入手のエピソード、事業立ち上げの投資や、出張から帰る際の見送りの逸話等、幾筋もの継承のストーリー。青山は先輩経営者として逸翁と様々な関りを持っていたのだと知りました。

さらに、沿線に宅地を開発して地域をつくるという戦略は小林から東急の五島慶太へと引き継がれます。そして、「五島美術館」も。

美術工芸品は、損のない投資だという信念も引き継がれているのかもしれません。


◆山種美術館の「皇室ゆかりの美術」展

山崎種二(1893-1983・山種証券[現SMBC日興証券]創業者)

◆逸翁美術館「百貨店で花開く ―阪急工美会と近代の美術家たち―」展

◆小林一三記念館

小林 一三(1873-1957・阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者、号は逸翁)

◆根津美術館の展示室6

根津 嘉一郎(1860-1940・東武鉄道や南海鉄道など日本国内の多くの鉄道敷設や再建、号は青山)

五島美術館

五島 慶太(1882-1959・東京急行電鉄(東急)の事実上の創業者)


小林一三記念館

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逸翁美術館

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池田文庫

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