時間と境界の曲流 ユンタンザミュージアム(座喜味城跡)

見学一周目は、順路をたどっあと城跡へ。
二周目は、約六百年にわたる読谷の歴史の順を頭の中で再整理。中国、日本、米国のそれぞれとのつながりの変遷のと人々の日常の対比を想像します。

今から33年前 1986(昭和61)年

沖縄戦の前は日本軍、戦後は米軍の軍事施設として城壁の一部が破壊される。

その570年前 1416年~1422年 琉球王国の時代

北山監守・護佐丸が築城させた城(グスク)。
野面積み、布積み、相方積みという石積みの種類には、強度などの機能的な違いだけでなく、原石採取から完成までの工程の期間と手順もはかなり違いそうです。残念ながらここにも、ここに来る前に見学した恩納村博物館にもそこまでの解説は見当たりませんでした。
部位によって最適構造が違うのか、時代による技術方式の経済性の変化なのか、あるいは指揮者の信念等によるものか。
自分の宿題にして持ち帰りましょう。

97年以上 人の一生

トゥシビー 自分の干支の年まわりのお祝い。12年おき。
トーカチ 数え八十八歳
カジマヤー 数え九十七歳

今から74年前 1945(昭和20)年 沖縄戦

米軍が上陸すると、住民はガマ(鍾乳洞)に立てこもり避難。追いつめられ集団自決したガマと、交渉によって大多数がい伸びたガマの対比も語られていました。

その26年後 1971(昭和46)年 沖縄返還協定の強行採決の日

行政主席・屋良朝苗(やらちょうびょう)氏の日記。地元の意見が反映されることなく日米間の返還交渉が進んでいることを危ぶんだ琉球政府は、基地のあり方も含め県民の要望をまとめる。屋良朝苗行政主席(後に初代知事)は、建議書を携えて上京したが羽田空港に降り立ったころに衆院特別委員会で沖縄返還協定は強行採決。

今から60年前 1959(昭和34)年 読谷に火葬場設置

火葬が普及する前、野辺送りで棺を納めかついで運んだ龕(ガン)

風葬から火葬へと葬法の変化。厨子甕は、風葬時代に洗骨のあとの骨を納める甕。

世界遺産座喜味城跡 ユンタンザミュージアム

読谷村字座喜味

城跡入り口

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