東京という心臓に血流のように掻き集められた水の歴史 (水道歴史館)



http://www.waterworks.metro.tokyo.jp/water/pp/rekisi/

A1356246891612江戸に拠点を設けた徳川家康の時代から小石川上水、井之頭池を水源とする神田上水が開発され、さらに多摩川から玉川上水が43km掘り抜かれます。
(写真は、江戸時代の上水の開発の歴史、特に玉川上水の建設に焦点をあてた展示です。)

明治以降の近代水道では、これに荒川、利根川からの供給が加わりますが、江戸時代の水道網という基盤からの発展といえます。後世に引き継がれる価値ある公共工事だったことを学びました。

 

東京の人口増加と生活レベルの向上があいまって、水道の普及率と1人あたり1日の使用量も急拡大していきます。

  • 明治 水道敷設当時         5% 110リットル
  • 大正 大震災前               70% 180リットル
  • 昭和 高度経済成長期     90% 370リットル

 

     

AIMG007891千万都市の全ての蛇口をひねればあたりまえのように浄水がでてくるという状態は、先人の数百年にわたる積み重ねの上にあることなのです。

子供の頃、銭湯に通うのがあたりまえの中で、自分のうちに風呂があるというのは特別なことでした。週に何回かが毎日となり、単身世帯の増加もあって一度たまった湯にはいるのはほぼ1人だけとなりました。トイレもすべて水洗になりました。

1日に使う数百リットルの水のうち、口にするのはせいぜい数リットル、残りの用途には不要なレベルまで浄化するのはモッタイナイように思います。そのうえ、ボトルウォーターまで普及するのですから、人類の欲望は効率などおかまいなしなのでしょう。(写真は、高度成長期の典型的な入浴シーンのジオラマ。寒かった風呂場、薪が燃える匂い、檜の香り、石鹸で洗われてごわごわになった頭・・・思い出を引き出されました。)

 

 

AIMG00755JRのその名も水道橋(江戸時代に神田川の上に上水を通す橋がかけられたことに由来)駅とお茶の水駅の中間に位置する目立たない博物館ですが、無料でこれだけ勉強できる場所は貴重です。