海面下の戦いのリアリティ 海上自衛隊呉史料館 / てつのくじら館(広島・呉市)

Kujira04 1990年代初めの湾岸戦争で、イラクがペルシャ湾封鎖のためにばらまいた無数の機雷の一つです。

 

一度設置されると取り除くのはやっかいなことになります。その活動を掃海(そうかい)と呼びます。海上自衛隊が国際貢献として掃海活動「湾岸の夜明け作戦」を実施しました。

 

当時のTVニュースで脳裏に焼き付いているのは、空の戦争でした。多国籍軍の空爆や、スカッドミサイルとパトリオットミサイルなどのハイテク兵器が繰り返し報道されました。技術的・政治的制約から報道にバイアスがかかることは仕方ありませんから、少し時間がたってから冷静に全体を見渡す必要もあると感じます。

 

 

 

 

Kujira02 史料館の2階は、まるまる1フロアが機雷の掃海活動に当てられています。

各国の機雷の展示では暗闇の中にボーっと機雷が浮いており、古生代の海底で獲物を待つウミユリを思わせます。
実物の機雷展示やその仕組みを見ていると、これを除去する作業の危険の度合いがだんだんわかってきます。

 

 

 

 

Kujira05 「湾岸の夜明け作戦」で使われた道具の一部が機雷の爆発で大きくへこんでいます。その生々しさは、その活動に従事した隊員の方々の命に直結するという実感を伴っています。

 

 

海の戦争の戦術と戦略の歴史の中で、戦艦・航空母艦・潜水艦といった攻撃のための艦船のアーキテクチャーの劇的な変遷は目立ちますが、その背後でまさにひっそりと、機雷という地味な兵器は基本的機能を変えることなく19世紀以来の歴史を持っています。あるいは、2億5千年前のウミユリ以来の歴史という見方もできるのかもしれません。技術的には著しい進歩を遂げたものの、基本要件は変わっていないのです。

 

この館のすぐ前には戦艦大和の資料を展示する大和ミュージアムがあります。1945年の最後の海上特攻に向かう直前には、広島・呉の港は約1,000個の機雷で埋め尽くされ大和の帰港も阻まれたようです。そして、日本の戦後復興において、各地の港に敷設された機雷の除去は必須であり、初期の海上自衛隊の重要任務だったわけです。

 

ペルシャ湾でも同じく掃海活動によってこの地域の復興に貢献しました。私は今まで、それらの活動を認識していないために感謝の念を持ちえませんでした。この館は、海上自衛隊の一定の意図のもとに作られた広報用の施設であり、そこを訪れて感謝の念を抱くことに関してはいろいろな意見があると思いますが、少なくとも事実をある面からとらえた視点で見る機会を提供していることには価値があると考えます。

 

さて、この館の最大の展示物が潜水艦あきしおです。デパート前の駐車場わきに突然浮かんでいる風景は、なんだか現代美術の展示のような異空間です。

 

Kujira01 背後の建物の3階は潜水艦の歴史・技術の展示で、あきしおの中も見学できます。「レッドオクトーバーを追え」 を読んで以来、潜水艦を舞台にしたそれなりの数の小説・映画で館内の雰囲気をつかめたと思っていましたが、実物の圧迫感は少し種類が違いました。引き伸ばされた球体の内部には兵器・機器が最密充填されており、人はその隙間を借りているという感覚です。全方位からの圧迫感は独特で、ついつい自分も球体に向かって縮退していく思いです。それはそれで内部も現代美術のようだと形容できるかもしれません。

 

(2011/8/4 見学、2011/8/18 執筆)
 
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