巨艦巨砲アーキテクチャーにおけるイノベーションのジレンマ 大和ミュージアム (広島・呉市)

Yamato02 史上最大の戦艦・大和は1945年4月7日沈没し、九州の西南数百kmの水深数百mの海底に、真っ二つに千切れて横たわっています。巨大な主砲部分が脱落し、後半分は上下反転しています。当時の戦艦には、国内の旧国名がつけられていたようですが、その中でも日本に直結する”大和”が名づけられた、連合艦隊の運命の旗艦です。

第2次世界大戦中に、艦隊のアーキテクチャーは変わり、主力艦は戦艦から、航空機を伴った航空母艦へとシフトします。旧アーキテクチャーに基づく最高傑作として建造された大和が就役後4年足らずで撃沈されたことはそのシフトを端的に表しています。

無理を承知の海上特攻作戦にうってでた大和だけでなく、特攻に使われた人間魚雷「回天」や戦闘機も展示されていました。当時の軍事的政治的意思決定がどのようなものであったのか知らぬまま戦後の数十年を暮してきました。この博物館は、大和の技術面と悲劇的な最期に主に焦点があてているので、より広い視野を持つためには他もあたる必要があります。

Yamato01 さて、宇宙戦艦ヤマトでもひときわ目だつ艦首下部の球状の突起は元祖大和ゆずりです。造波抵抗を打ち消すために設けられた球状船首(きゅうじょうせんしゅ)はバルバス・バウと呼ばれます。これを艦首とする潜水艦の上に海上船が載った2段重ねの構造のようにも見えます。当時の他の軍艦の模型もずらりと並んでいますが、この特徴があるのを私が確認できたのは大和だけでした。宇宙では不要の構造ですが、この形こそが大和を示していることになります。そして、戦後のタンカー造船にはこの技術が引き継がれたとあります。

入館して最初に出会うのが、ガラス張りの大ホール中央に展示された大型ヨットほどの大きさの大和1/10巨大模型であり、この館の象徴です。一方、照明を落とした展示室には、最後の海上特攻に向かった乗員の個々人の写真も浮かぶようにたくさん掲げられています。それは総員3、332名の中のほんの一部でしょう。記録の残り安さのバイアスを想像すると仕方ないと思いますが比較的広範な情報をインプットできた士官ばかりが並んでいるような気がします。

その背後には、一般の水兵、建造に携わった数万人、そしてその費用を支えた多くの国民も、歴史に名を残すことなく眠っているはずです。それぞれの人生から見た戦争の姿を慮るには基本知識と想像力の積み重ねが求められます。
 
(2011/8/4 見学、2011/8/18 執筆)
 
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