高度成長期に花開いた現代の博物館の第1章(岐阜県立博物館・関市)

http://www.gifu-kenpaku.jp/

1971年(昭和46年)岐阜県置県100周年記念事業として計画。
1976年(昭和51年)開業。

同行の岐阜県在住の方のお話によれば、公共施設の建設に積極的だった当時の知事のイニシアティブで建設されたということです。地方博物館建設ラッシュの時期ですから、日本全国どこでもあった図式かもしれません。

駐車場からは300メートルと表示がありますが、高低差もかなりあります。「百」をモチーフにしたモニュメントを見ながら右に登っていくと博物館です。けっこうな運動になります。車いすだとちょっと登れないように思える最後の急坂には、無料のスロープカー「らくらく号」が完備されています。

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公園側正面には、地元出身の日本の博物館の育ての親・棚橋源太郎氏の顕彰日時計。

同行した博物館関係の皆さんは帰り道、さかんに記念撮影をされていました。

 
館についてもまだ登りかと思ったら、手前の新館「マイ・ミュージアム」に入ればエントランス階に上がれるエレベーターがありました。

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(帰る際に撮影)左奥を上ったところが本館。当初はこちらが入り口。
右が1995年完成のマイ・ミュージアム。

1階が自然史系、2階が人文系になります。展示室は写真撮影不可なので紹介できないのが残念です。
創立40年近いので建物自体は多少古めかしい箇所もありますが、案内していただいた館長・学芸員・職員の皆さん、熱意にあふれていました。

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エントランスホール

いつまでも続くような気がしていた高度成長期の常識の多くがその後変遷を遂げていくことになりました。現時点で優位な文脈である博学連携・MLA連携・生涯学習・・・から考えたらこの立地はなかなか厳しいものもあります。県内のどこからでもアクセスに時間がかかります。バス停は駐車場よりもさらに遠く、20分は歩く必要があります。

当時建設された地方自治体の博物館は、そろそろ築40-50年を迎えて老朽化が進んでいます。今の時代にどういう第2章を描けるのか、経験から学びつつ常識を疑って進みたいものです