土地の名前に残る歴史 @ タイムドーム明石(中央区立郷土天文館)

Dsc06848 東京で暮らしているとついつい東京中心のものの見方をしてしまいます。

学生時代に住んでいた東京都東久留米市のように「東+久留米」であればはきっと九州の久留米に由縁があるのだろうくらいは想像できるのですが・・・

ところがそう思って調べてみると、最初から東久留米だったのではなく、まず明治時代に久留米村ができ、昭和になって市制施行のときに福岡県久留米市との差別化でこの名前になったようなので、はじめの命名時の由来はよくわからないようです。(東久留米市ホームページ

思い込みは危険ですね。地名には長い歴史が織り込まれているようです。

さて、中央区です。区のいくつかの施設が入ったビルの6Fに中央区立郷土天文館があります。「タイムドーム明石」という名前を前面にだしているので、子供向けのプラネタリウムだろうと思って、長年入ることを考えさえしなかったのですが、「郷土」とはなんだろうと急に興味がわいたのです。聖路加病院の道を隔てた向かいにあります。角の交差点には、福澤諭吉が創設した慶應義塾の発祥の地の石碑があります。

色気のない役所風のビルのエレベータを降りると、面積は限られていますが本格的な郷土展示がありました。

1 江戸の中心地だったこの地域の地名にも、さまざまな歴史があるのですね。静岡や大阪と縁があるなんて想像したことがありませんでした。この土地は、徳川氏が力を持って、当時の日本の中心である京都や大阪に対抗して本格的な都市づくりを始めたことで急成長したのでしょう。

・銀座という名前は、徳川氏が江戸にくるときに出身地駿府の銀座を持ってきてついyた名前

・佃島は、摂津国佃村(今の大阪)の漁夫が江戸に移ってきた人たちが作った土地。

江戸時代に形成されたこの町の基本構造は明治以降さらに発展・修正されていきます。たとえば、魚市場は江戸に幕府が来て大発展を遂げて以来、日本橋の隅田川の岸にあったものが、関東大震災で築地に移ってきたということです。現代人にとっては「魚市場=築地」ですよね。現在、移転の可否が議論されていますが、そのような歴史を知るとこの問題の理解の仕方にも影響するでしょう。

いずれの話からも、地名に人の動きが写影されていることを感じます。

土地の名前の由来はよくよく考えてみる価値がありそうです。

  

併設されたプラネタリウムは堂々たるモノで天空の広がりを感じることができます。前面に出される館の名前「明石タイムドーム」からうける印象は”ドーム”という響きが強力なのでプラネタリウムだけの施設と勘違いしていました。しかし、”タイム”に関連する地味な「郷土」の展示からも人間の社会の歴史と地理の広がりを知ることができます。

  

今年は福岡・大阪・新潟の歴史系博物館を訪問する機会があって、「土地の歴史」の意味にたびたび気付かされました。

ところが、20年以上縁のある東京都中央区にこの館があることを長年意識していませんでした。わざわざ航空機や新幹線に乗らなくても歩いて十数分の場所にあるのに。

気付きは、タイミングや違った立場によってもたらさせるのかもしれません。

◆博物館心-ミュージアムマインド- タイムドーム明石(中央区立郷土天文館)