平安時代の天守閣? 千葉市立郷土博物館

 DSC01711 道順を確かめるために地図で博物館の場所を確認すると博物館の名前と重ねて「千葉城」という文字が。「千葉にお城?」と疑問をかかえたままバスを降り路地を抜けるとそこにはしっかりとお城が屹立していました。

 何かおかしいと感じながら開催中の企画展「千葉市の戦国時代城館跡」の展示を巡ります。
「戦国時代の千葉は、この地の支配者千葉氏を中心として、上総の武田氏や安房の里見氏、小弓公方となった足利義明、そして小田原の北条氏などが入り乱れて抗争を繰り返した時代でした。」

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千葉という地名はこの千葉氏という人名に由来することを知り少し驚きます。建物は、1967年(昭和42年)竣工の城郭建築4層5階、鉄骨鉄筋コンクリート造です。近世風の模擬城郭となっています。城壁をよく見ると、割った石をすり合わせて積むような微妙な細工などはされておらずタイルのように石板を貼り付けたもののようです。近年作成されたものだということは容易に想像がつきます。
 さて、本当にその時代にここにこういうお城があってそれを再建したものかというとそうではないようです。千葉市の都市としての歴史は、平安時代後期の豪族 千葉常重が亥鼻の要害に舘を築いたのが始まりだそうです。常重が築いた舘の詳細な地は不明で、おおよそその場所に現在の千葉市立郷土博物館が立てられたようです。平安時代では天守閣のついた高層のお城はなかったでしょう。

 この巨大なハコモノが何故立てられたのかまでは追っていませんが、地道な発掘活動によって徐々にあきらかにされていく中世の歴史展示と比べてあまりバランスがいいとは思えません。一方、観光が目的だとすると、最上階の周囲をぐるりと覆った白い金網で展望が妨げられている理由がわかりません。何か事故でもあったのでしょうか。
 すくなくとも訪問時には私以外の訪問客はいませんでした。受付スタッフ、警備スタッフ、メンテナンス系スタッフの人件費を想像し、この施設が「事業仕分け」の対象になったら予算の正当性はどう説明されるのだろうと心配になりました。

DSC01706 同じ公園内には県立中央図書館と文化会館があります。文化会館のレストランもスタッフよりも少ない客しかいませんでした。

ただし、公園としては整っているので、花見のシーズン等にはにぎわうのかもしれません。疑問を解決するのはまた機会があるときにしましょう。

◆博物館心-ミュージアムマインド-  千葉市立郷土博物館