『麦とホップを製すればビイルという酒になる』 —- こだわりを解釈するにも修行が必要である サッポロビール博物館(北海道・札幌市)

Sapporo03 明治9年 (1876年)に政府の開拓使が設立した開拓使麦酒醸造所。自生のホップや気候等、北海道特有の条件を生かした事業だった。

 

 

 外国人技師を招へいして工場を作り、ドイツのビール会社で2年間修業した醸造技師・中川清兵衛が仕込んだのが第1号商品冷製「札幌ビール」。技術は人間に詰め込まれて移動するものなのである。

 

 

 

Sapporo04

冷製ビールのボトルは、シャンパンのふたのようにコルクが針金で固定されている。値段も今のシャンパンなみである。歴史を追って見学していくと、前面に出てくるブランド名やラベル以上に、背景に隠れた容器の変化に目が留まる。二酸化炭素の圧力を封じ込めるための容器の実装は、ワインのようなコルク栓に変わり、王冠(ボトルキャップ)となり、缶となり、プルタブに至る。どこにも説明はないが、化学的変質をおさえつつ物理的機能を提供する容器の技術の変遷の背後にもたくさんのエンジニアの工夫が埋まっているのだろう。

 

Sapporo05jpg 埋め込まれた技術を最高に引き出すという三段注ぎを実演する館内ツアーガイドの方は、缶もグラスもラベルをこちらに向けて持っている。薬品瓶から注ぐときにはラベルは上にくるように持てと教わったことを思い出しながら、こだわりの成果を試飲する。何事にもこまかな流儀というものがあるのである。食べ物・飲み物の博物館では、味と香りまで立体的になる。3Dばかりが立体感ではない。

もちろん見学の最後は試飲という名でビールが飲めるビヤホールになっている。しかも博物館の隣はサッポロビール園。楽しく食べて飲んで、そのあとちょっと歴史を勉強したら、また楽しく飲んで・・・という作戦である。

 

 

 

Sapporo02 博物館の脇には、醸造所開設時のビール樽看板『麦とホップを製すればビイルという酒になる』が再現されている。

『なふレを製ツ麦・・・??』は暗号ではない。右から縦に読むのである。このあたりは、歴史の常識は変わるのだということである。

 

この復古調の裏では、一方で、新しい技術によって、往時の賑わいを再興すべく引き続き目に見えない場所で毎日工夫が積み重ねられているのだろう。30年前、学生時代に訪れたときには博物館はまだなかった。高度成長の果実の収穫で手一杯で歴史を振り返る場合ではなかったのかもしれない。

 

  

 

Sapporo01 ここに向かおうとして北大前でひろったタクシーの運転手に「やっぱりビールはサッポロしか飲まないんですか」と聞く。「地元ではそうでもないね。それぞれ好きずきでしょうね。」だという。「男は黙ってサッポロビール」という時代は地元でもとうに過ぎているらしい。そういえば、大通り公園には、キリンやアサヒのビヤガーデンも開いていた。こだわりはいつしかコモディティとなり、識別不能になってしまうのかもしれない。

博物館設立には、過去の栄光の思い出づくり装置ではなく、次の時代の萌芽になってほしい。

 

 

(2011/8/9 見学、2011/9/13 執筆)

博物館心ミュージアムマインド「サッポロビール博物館」へ

 

 

 

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