テレビの裏側を覗きこむと夜の近未来都市があった子供の頃 東京工業大学博物館 その3

C02昭和40年代初め、アポロの月着陸を見ていたときのうちのテレビは真空管式でした。

 

裏側に回って隙間から中を覗き込むと、真空管の陰極の鈍いオレンジのチラチラがネオンの夜景のようでした。画面は白黒でしたが、裏側の世界には色つきだったのです。埃が焼ける匂いの熱気が、覗き込んだ顔にもわっとまとわりつく感じが近未来社会の隠れた印象にもなったわけです。

 

この博物館の3階に展示された大小さまざまな真空管も物理学的合理性を伴った実物大造形の数々です。今では数ミクロンの回路になってしまい目に入りません。

 

 

 

 

C01テレビの父・高柳健次郎博士が浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)で、ブラウン管による「イ」の字の電送・受像を世界で初めて成功したのが1926年(大正15年)です。昨年、静岡県浜松市の静岡大学構内にある「高柳記念未来技術創造館」を見学してきました。研究開発の過程で試作された異形の真空管群は、火は落とされ眠りについていますが、説明を読んでいくとかつての熱気がこちらの気持ちに灯ります。

小学3年生の時、担任の先生が「イ」を電送した世界で初めてのテレビの話を誇らしそうに教えてくれたことが、埃の匂いの記憶と一緒に脳の奥から読みだされました。時は高度成長期、科学技術に手放しの期待と信頼がありました。

「電子式テレビジョンの開発<高柳式テレビジョン>(1924年-1941年)-静岡大学」は、2009年11月、その2で説明したIEEE milestone として認定されました。

 

高柳博士は東京高等工業学校(現・東京工業大学)附設工業教員養成所を卒業されているのでここに展示があるのでしょう。地下1階のコンパクトな展示で関心が膨らんだらぜひ現地・浜松にも足を運んでください。