21歳ごとのバトンリレー。 大阪大学総合学術博物館(大阪・豊中)

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豊中キャンパスの大阪大学総合学術博物館です。

http://www.museum.osaka-u.ac.jp/

ミュージアム正面玄関前の大木、ここでは銀杏でした。

源流への敬意が形になっていました。
江戸時代中期に町人の手で創設された「懐徳堂」と、末期に緒方洪庵が創設し近代日本創設の原動力となる福沢諭吉ら若き俊英たちを輩出した「適塾」です。国立大学の草創期が民間の活動に支えられていたというのは、東京大学の「健康と医学の博物館」でも認識したパターンです。
http://mhm.m.u-tokyo.ac.jp/

1階、「世界にはばたく研究者」のコーナー。

初代総長・長岡半太郎(1865生)が東北大から招いた八木アンテナの八木秀次(1886生)。

八木により京大から移籍した湯川秀樹(1907生)は、八木から同年代の朝永振一郎との比較で叱責を受けた直後に中間子論を発表、ノーベル賞を受賞します。

21歳ごとのバトンリレー。大阪大学総合学術博物館でパターン認知。

中之島の当時の跡地は、今は大阪市立科学館。理学部の歴代の成果も子供たちの喧騒のわきでひっそりと展示されています。

http://www.sci-museum.jp/

理学部の起点となったのは、実業家の高額寄附で設立された塩見理化学研究所。
民間の創意と支援の系譜は大阪大学の総合学術博物館で丁寧に説明されていました。


開催中の企画展は『野中古墳と「倭の五王」の時代』。

http://www.museum.osaka-u.ac.jp/2014-02-01-2182/

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